サッカーとジャンクの日々

浦和レッズを埼玉新聞の記事をフックに語りつつ、好きなジャンクフードネタなどもポチポチと

【今日の埼玉新聞】10/17 浦和記事無し こんな事書きたい訳ないだろ。

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浦和レッズを応援してます、という事が色々な場面で明らかになると、大昔は「あの!」と言われたりしまして。スポーツ紙などで、暴れた、囲んだ、騒いだ系。

 

同時に「熱い、凄い、勇ましい」系の評価もありつつ。

 

普通に前者の行為無しで後者の評価を勝ち取れたら、単に褒められておしまい、って事なんだけど、個々の人たちを考えれば特に難しくない。やらなきゃ良いだけです。

 

なぜやるか?

 

別にサポーターの総意でやってるわけじゃない。さらに言うなら、内部でやめろ、という声も圧力もある。その反対のそのくらい良いじゃん、おもしれー、の声も。

 

当事者は後者の声しか聴こえません、って事でしょうか。

 

「サポーター」ってのはサポートする事。戦う相手と悪口言い合うのは面白いしいいと思うんです。ここでも相手へのリスペクトとかスポーツマンシップが、という意見もあるかと。自分は節度を超えない罵り合いは相手の捉え方も踏まえて、プロレスみたいな演出の一部として使えると思ってます。相手の良いプレーにも拍手、なんてのは自分の中ではあり得ない。思わず手を叩きますから、特に言わんでくれ、くらいですかね。

 

それを許容できるレベルを相手と探りながらやってるのも大きな意味での交流だし歴史だと思います。コンサとの北斗の拳のセリフを使って、年単位で弾幕使った文通などは、バカバカしさとバカな時間軸の使い方などを考えると良い口喧嘩の例かな、と。

 

今回の件も、もし相手が「くそー、やりやがったな」と寛大な心で皆が反応してくれて、次の機会に(うちには相当する物が無いので例えば)うなこ像が鹿島グッズで埋められてたりして、こっちも「ほほう、それしきのことか」などと反応できるなら問題ない。

 

仲間内でふざけてるつもりで相手が嫌がるとは思わなかった、というのが学校内の犯罪のよくあるパターン。いじめ、とか言い換えてますがほとんどは犯罪。今回も、相手、浦和をある部分で象徴してしまっている立ち位置、その管理者、に対しての「犯罪(刑法的には今回は軽いとは思いますが)」な訳です。

 

サポーターって、の話が途中で脱線した。

 

つまり、我々がサポーターと呼ばれるためには「サポートできているか否か」のたった一点で評価されるべき。

 

オフィシャルに余計な仕事をさせ、相手さん側に片付けをさせて、浦和のイメージに今回の事を付け加えた、という今回の事は、内容の軽重の評価に関わらず、アウトな訳です。

 

…虚しいです。